HokkaidoThai.com
北海道タイドットコム
北海道のタイ総合情報サイト
トップこのサイトについて┃北海道とタイー交流活動海道タイ語センター北海道タイ舞踊教室
札幌のタイのお店タイ料理タイマッサージ┃タイー調味料タイー雑貨店┃タイー基本情報クイズ┃お問合せ /ภาษาไทย
北海道タイドットコム
北海道からタイへ、有意義な後期高齢者生活 ~タイ、ノンカイ県からの便り~

By 
(北海道出身、元小学校教員 坂口和夫
Vol 1:Vol1初めての便り(3月1日更新
Vol 2:タイの季節(3月20日更新
Vol 3:  日本語教育ゼミ(4月1日更新)
Vol4: 鯉のぼりを見て「おいしい」という男子生徒も・・・うん!!魚は食べ物なんだ・・・(ุุุุุุุ5月1日更新)
Vol5 髪が長い乱れていると、先生がバッサバッサと髪を切り落としています(ุุุุุุุ5月30日更新
Vol6  3組の仏教修行(ุุุุุุุ6月2日更新)




Profile
(北海道出身、元小学校教員 坂口和夫
Vol6  3組の仏教修行


 2月24日25日に亘って1年3組の仏教修行がありました。昨年洪水の頃に3年生が3日間の日程で40キロ離れたお寺にこもったのとは違って地元のお寺でしたが、お寺というような建物もなく三方吹き抜けの本堂がある粗末なお寺でした。ところが敷地は広く瞑想の道があったり、大きな台所や修行のためにこもる小屋が
数多くあるなどして、相当な格式を持つお寺だと感じました。
 そこに多くの村内の住民が集まり、それに混じって日中だけ参加の小学生と、中学生が、大人と同じようにお経を唱え瞑想の道を歩き、翌朝は托鉢もしました。
 
仏教の慣わしどおり、午後は食事もなく「おなかがすいた」とこぼす生徒もいましたが、多くは達観(観念か?)したかのように
飲み物を飲んだりして(飲は許される)過ごしていました。
 夜は前述の本堂に蚊帳をつって女生徒が、男子生徒は、林の中に蚊帳をつったりテントを張ったりして寝ました。

聞くところによると2時ごろにはもう起きはじめ、5時のお勤めが始まるまで静かにさせるのに苦労したということです。

驚いたことは、がきのご本尊みたいな男子生徒が、全体の読経のリード役を務めたり、大人と同じ正式の白装束で参加して、礼法はもとよりお経も全部覚えているという女生徒がいるということでした。
 何より、お坊さんの一声でこうも従順になれる生徒を見て、タイの国を支えている仏教の底力と怖さを感じました。

 早朝の托鉢でいただいた食べ物をみんなで分け合って(たくさんありましたが)食べて、修行は終わりました。

 みなさんの利用したペットボトルは利用価値があるとかで、全部学校へ持ち帰りました。(掃除をしてるんじゃなかった?)

 ヤイッ !! 普段の授業のときもこうやれえ・・・
 
 翌日、がきん子はやっぱりがきん子に戻っていました。

トップへ

Vol5 髪が長い乱れていると、先生がバッサバッサと髪を切り落としています
 

最終日の2年生の授業は折り紙にしました。3日の朝会で、雛祭りと鯉のぼりの紹介をしたばかりだったので、お雛さまと兜を作りました。
ここで、『折る』とか『半分』とかいう日本語を教えるつもりでしたが、わたしの手元を見ながら「パップ」とか「クン」とか言いながら折り進みます。なんだかこちらがタイ語を習っているような雰囲気でした。いつもはいたずらで(にくい)彼らの素直に喜ぶ笑顔がとても素敵でした。
 
成果はどうかと聞かれると答えに困ります。ただ、村の人に「おはようございます」と挨拶すると、誰彼なく頷いて笑顔で応えてくれます。生徒たちはどこで出会っても「おはようございます・おげんきですか・こんにちは(わ)」「さようなら」と声を掛けてくれます。近くの幼児も「さよなら」と手を振ってくれます。日本語は難しいとタイ人は言います。(わたしはタイ語が難しい・・) しかし、タイ語であろうが日本語であろうが、違和感無く挨拶がし合えるということも大事なんだろうなあと、近頃つくづく思います。小さな村の学校だからそれが出来たと、ここに来た意味を考えているところです。
 
髪が長い乱れていると、先生がバッサバッサと髪を切り落としています。制服についた毛は仲間が払い落とし、そばにいる生徒が落ちた髪を掃き集めていますわたしを見て「先生も切りますか」なんてふざける生徒もいて周囲を笑わせます。誠にさばさばした光景です。日本のお母さんが見たら卒倒しそうな・・・この情景もタイ・・・
 
校長先生に喫煙の現場を抑えられた2年生6人は、昼食後の休み時間、校長室前に来て自由を拘束??されることになりました。教頭先生の計らいで工作をさせたら結構よくやるのです。見込みがあるかなあと期待しながら教えていましたが、謹慎が解けたら全く顔を見せません。
・・・タイ人は飽きっぽい・・・といううわさは本当かも知れない。
トップへ
 

Vol4: 鯉のぼりを見て「おいしい」という男子生徒も・・・うん!!魚は食べ物なんだ・・・

今日は朝会で、雛まつりと鯉のぼりの話をしました。紙の兜をかぶったり、それぞれの歌の終わりのところを歌ったりして、
日本の子どもたちが両親にどんな期待をされ、どのように育てられているのか、分かりやすく話したつもりです。
通訳の先生と事前に簡単に打ち合わせもしましたが、相当に内容が濃くなって伝わっていたようです。時々生徒が笑うのですが、
なぜ笑っているのかさっぱり分かりませんでした。
雛人形については、インターネットで写真を取り出し、プリントして各クラスに1枚づつ配りました。値段の高いのにびっくりしていました。
あしたは、2年生に紙雛の作り方を教えます。『折る』とか『半分』『おもて』『ひらく』などの言葉を教えます。
 
6日ですべてのテストが終わります。成績のよかった生徒は11日から休みに入り、基準に達しなかった生徒は補修することになります。

26日に査定の結果が通告され、進級するものと残るものが振り分けられます。残留したものついては10月のテストで救済されるということです。
コンクリートの床の上が一番凹凸が無い!!
生徒サイドから見ると学習環境の改善が先かなあと、つい気の毒に思ってしまいます。
 
鯉のぼりを見て「きれい」と言った生徒がたくさんいました。中には「おいしい」という男子生徒も・・・うん!!魚は食べ物なんだ・・・
生活がにじみ出ている。

トップへ
過去の記事

1.Interview:「自分のできることをしたい!」タイで大奔走、スリン県に幼稚園を建てて寄贈した札幌の坂口さんのタイとの関わりをお聞きしました。
(2008年更新)
広告

おすすめホテル予約サイト



AB-ROAD エビーロード 日本最大!リクルートの海外旅行 比較サイト

タイの地図から簡単ホテル検索【ホテルクラブ】





Vol 3:  日本語教育ゼミ


1月23日。イサーンの中心都市コンケーンの、コンケーン大学に行きました。
 そこで開催された『日本語教育ゼミナールおよび研修』に参加するためです。
 参加者は、イサーン各地で日本語を教えている日本人とタイ人教師、それに大学生と付属高校の生徒たちです。教師は40人ほどで学生は200人はいたと思います。           
 
 講義等の内容については省きますが、日本文化の紹介で『衣』では着物、それも振袖で豪華なものと舞妓さんが、『スポーツ』では相撲。(朝青龍「モンゴル人」と、タイの人が言った)『食』では、すしや高価な刺身と居酒屋で憩う客の表情を、加えて、和菓子やさくらんぼ・桃などの果物を上げていました。わたしとしては自分が食べることのないような、実際に見ることも出来ないようなものもあり、少し違和感を感じましたが、それはわたしの体験不足なのでしょうか、ひがみなのでしょうか。
 また、『コスプレ』については、かなりの時間を割いて話されました。顔を真っ黒に塗った少女が路端にしゃがみ、切り紙細工のような衣装の女性が街を往来し、コミック雑誌やアニメの登場人物がそこここにいます。きっと東京の然る箇所で取材されたものと思いますが、これも「わたしは存じません 」と言うしかありません。
 終わりに、かなりの勢いで韓国アニメが流通し始めていると結ばれました。

 テレビでも『チャングム』は終わり、現代編・時代編(チヤングムと同じ俳優が多い)が毎日放送されています。タイでも、韓流フアンの増えつつあるのを感じます。何しろ分かりやすいのです。タイ語に吹き替え、筋もおおよその見当がつきます。
 隣国のラオスを走るワゴン型の新車は、全部と言っていいほど韓国製です。国情の違いはあるでしょうが、韓国への親近感が増幅しつつあることは確かです。ただし、中古車はほとんどが日本製です。知る人ぞ知る『パブリカ』が、まだ走っています。
 話は逸れましたが、日本のものは、見た限りでは書とか能、歌舞伎や茶などの芸術的なものの英語の紹介番組が多く、それも再放送の連続で「先週・先月、またあ」という具合に繰り返し放映されます。ただ、わたしの村では日本の放送は見られません。たまに街へ出て見た時だけの判断ですから、大いに間違っているかもしれません。

 日本のアニメが、今も根強い人気を得ています。子どもにも大人にも分かりやすいからでしょう。一休さんの歌は、わたしのいる村でも知られています。「いっきゅうさん~」などと歌うと、中学生でも「キャー~、ピー~」と歓声を上げます。彼らは、幼児の頃からこの歌を聴いているのです。ドラエモンは日本を代表する有名人です。

 またまた話は逸れましたが、このあと、コスプレの発表会がありました。12組の出場者たちが見事に化け、真剣に演技していました。二刀流の剣士が剣舞を披露し、剣を振り振り銃を乱射するわけの分からない侍。漫画や雑誌から抜け出てきたような仕上げのいい衣装で歌ったり踊ったりと、態度も堂々としていて立派でした。
 演技後、一人一人が日本語で自己紹介をしていましたが、発音もはっきりしていて上手でした。言葉や文化を獲得しようとする熱意が伝わってきました。
 最後に赤いはっぴを纏った12人の集団が壇上で乱舞しました。何と、よさこいソーランです。激しくきびきびした踊りが終わると、会場は拍手で埋まりました。
 札幌出身のわたしは、いつ・どこで・誰が…疑問を感じながら大拍手しました。
 
 ここで驚いたのはタイ人の教師がとても多いということです。それも日本語を習ってから1年とか、教科書を参考に3年間独学で身に着けたという方もおられて、みなさんが日本語教育のために、並々ならぬ努力を重ねてこられた様子が伺えます。
 これでは、わたしもがんばらざるを得ません。普通の日本語!を使いながら、言葉と一緒に日本文化のいくらかでも伝えることができるように、そして、日流がタイから消えないように、ささやかな努力をしましょうか…。
  
(つづく)
トップへ

Vol 2:タイの季節
(2009年3月20日更新)

タイの季節は

乾季は寒気

 11の半ば頃から季節は乾季に入ります。村の人に言わせると『凄い大嵐が来たら乾季に入る』というのです。

  それは突然やって来ました。雨風はともかく雷鳴が凄い。いろいろ経験してきた老齢のわたしでも、『うちの頭の上だけでどうして大騒ぎするんだ。あっちへ行って光れっ』と弱音を吐くほど、地響きをたて家をガタガタッと揺らします。古家で建て付けの悪い板戸や窓ですから、いつ飛ばされるか分かりません。もちろん停電です。

 いい大人がと笑うでしょうが、子どもの頃に体験した空襲より怖かったですよ。

 さて、何ということでしょう。翌日からきょう1月29日まで、一回も雨が降りません。その後湖沼の水は引き、木々は葉を散らし続けました。昨夜は我が家の回りでも村人数人が来て枯れ草を燃やしました。そのあと一杯は当前のことのようです。          (ハハア だから夕方やるんだあ)

 ところで、なぜ寒気?!

 昼間は30度を越える日がなくなり、日陰に入ると涼しく感じます。非常にさわやかなときなのです。生徒たちの運動も盛んになり、対外試合も数多く行われます。

 しかし、日没と同時に気温は急激に下がり始め、いっとき12度まで下がりましたから、札幌より寒い時もあるのです。暖房?あるわけがありません。

写真のように、せんべい布団よりまだ薄いのを5枚も敷き、3枚ばかりかけた中に長袖シャツに着替え、タイツをはいてジャージを纏い、さらにアノラックで身をくるんで寝るという、毎日キャンプをしているのです。それでも足が冷えるので、サッカー用の靴下をはき、とうとうペットボトルの急造湯たんぽの世話になりましたよ。布団8枚…通常ありえない枚数です。

 先日、近隣の山岳地域で1度まで気温が下がり霜が降りました。この地域では例年のことですが、今年はチェンマイの方で死亡者が出たそうですね。日本のニュースでご覧になった方もいるでしょう。住環境や耐寒の備えのない地域の人たちには気の毒なときです。悪いニュースは流さないで欲しいなあ。寒いからといって旅行をキャンされた業者もいるんだそうです。(あなたが眠っているときだけ寒いのですよ・・)

 

 今は、水の取り込みやすいところでは2回目の田植えが進んでいます。

  木々が葉を落とし、見える風景がすっかり変わりました。星は地平線に近いところまできれいに見えます。郷愁を誘う北極星も地面すれすれのところに見えます。

  気温は少しずつ上がり始めましたが、乾季は2月後半まで続くはずです。
                                      
1月27日18;00 日食

 しかし、この乾季から暑い季節に移行する間に『酷暑』と呼ばれている期間があります。文字通り何もかも手につかない酷なときですから、その3月中ごろから5月中旬頃まで学校は長い休みになります。勉強なんてできないよう、ということです。

 ですから、4季に分けるよりもご存知の、『雨季・乾季・暑季』とお考えの方がいいと思われます。混乱させるようで悪いのですが、暑季にも雨は降ります。


トップへ
北海道からタイへ、有意義な後期高齢者生活 ~タイ、ノンカイ県からの便り~
Vol 1:Vol1初めての便り
(2009年3月1日更新)


初めてタイからのお便りをお送りします。 坂口和夫
 氏名は、タイ式では『名はカズオ、姓はサカグチ、呼び名はカズオ』と言います。

(ズの発音は難しくカスオになります)カズオ・サカグチと略してはいけません。
 年齢は、小学校教員を退職した後、更に保育園に6年半ほど勤め、2度目の退職をして既に10年近く過ぎましたので、今は立派な後期高齢者です。その後言い方は変わったそうですが、一度つけられたレッテルは簡単に剥がせるものではありません。

 長くなりましたが、戦中戦後をやや苦労して生きてきた、少し頭の固い70後半に入ってしまった人間とお知りおきください。

 タイとの関りは、もう10年ほどになります。初めての観光旅行で見た、街にあふれる子どもたちの多さに驚きました。当時の日本の新聞には『ストリート チルドレン』と表現されて記事になっていました。タイの貧しさを強調しているような内容だったと記憶しています。

 北大留学生との交流の中で、非常に貧しい地方のあることも知りました。実際に行ったとき、4本柱にわら屋根という粗末な教室で、机もなく板のようなものの上で、それも地面にじかに座って読み書きしているのを、つい日本の教育環境と比べて考えてしまいました。屋根の下の周囲に土が盛り上げてありました。それは、雨季に雨水が教室内に流れ込まないようにするための土塁のようなものと聞きました。不遜なことですが、まるで竪穴住居だなあと思ったほどでした。

 その後、友人教師や知人から不要になった学用品や衣類をいただいて贈ったり、津波被災地には3度足を運んで、現地のボランテヤと交流したりしてきました。このとき、報道と現実との違いに怒ったこともありましたが、ここでは記述を避けます。

 そして、とうとうタイ東北部の僻村に幼稚園を建てることにしました。8メートル四方ほどの小さな建物ですが、地元の人が2年ほどかけてこつこつ作ったそうで、当時としては部落で初めてのガラス窓の入った建物が出来上がりました。おまえが死んでもこの建物は残るという部落の人たちの言葉を、複雑な気持ちで聞いたものです。
 そのほか、北部の山岳民族の通学施設や療養施設などを訪問し、主として幼児との触れ合いを楽しみ、こことは今後も交流を続けていこうと思っています。

 さて、現在はノンカイ県のナディー村に住んでいます。メコン川に程近く対岸はラオスという、東北部最北の国境に接する地域です。主として中学校で日本語を教え、村内にある2幼稚園と2小学校へも、日本の遊びの紹介と称して遊びに行きます。
 ここへ来るきっかけは、体力や年齢のことを考え、ボランテヤ活動に一定の区切りをつけたいと考えていたときだったことと、日本語や異文化に触れさせることによって地域の教育効果を高めようと、熱心に活動されている人々に出会ったことなどでしょう。

 一昨年、置戸に向かう中高校生の北海道訪問団員が札幌に立ち寄り、ホームステイをしたとき、我が家にナディーの生徒を受け入れたことも大きな刺激になりました。

 バンコクのような都市周辺ではなく、遠く離れた東北地方で、それも山岳地帯や僻村も含めて、そこでなぜ日本語なのかと訝る方もいらっしゃるでしょう。

 ここでは、その良し悪しの判断とか彼我の比較をするのではなく、また、必要不必要を考えていただこうなどというつもりは毛頭ありません。
 日本の文化に触れたいという児童生徒がたくさんいるんだという現実と、日・タイ友好に少しでも役立ちたいとして、日・タイ双方の人々が力を寄せ合っているさまを、自分の体験に私見も少々加えながら素直に書き綴っていきます。

 残りの滞在期間は少なくなりましたが、できるだけ多くのお便りを差し上げたいと思っています。          


  タイの暦 2552年1月24日

トップへ

トップページへ戻る



Postmaster@SapporoThai.Com
HokkaidoThai.com
北海道タイドットコム
北海道のタイ総合情報サイト